とうとう完結しました、魔法少女まどか☆マギカ
あの展開がこう生きてくるのか!というのが何度もあって、充実したいい最終回でした
よくできたSFの最後の部分というか、科学的な部分を切り取って哲学的な部分を残したみたいな面白さがありましたね
何せ主人公が神どころか宇宙の法則ENDですよ! 何ともSFチック
まどかは慣性の法則とかと同じ次元まで行ってしまったのか…
といろいろ書いたのは置いといて本題に入ります
邪道から王道へ――まどか☆マギカの本筋
ハードな内容から、ともすると新世代の魔法少女とか魔法少女へのレクイエムとかいう感じの評価をされそうだったまどか☆マギカ(以下まどっち)でしたが、最終的には希望が絶望を生むやるせない世界を改変し、希望が絶望に打ち勝つ世界に落とし込みました*1
邪道な世界を捨て、魔法少女ものとして王道な世界になったわけですね
これをふまえることで逆に、「希望が絶望に打ち勝つ」という王道な要素が一つ明確になります
というわけでこのブログのことですからやっぱりジュエルペットのことを書きますよ〜
てぃんくる終盤は人間の悲しみや憎しみに人間の夢と希望で立ち向かう! まさに「希望が絶望に打ち勝つ」ですね
てぃんくるのいいところは、この悲しみや憎しみを悪落ち魔法少女に担わせるだけでなく、普段の主人公達からも垣間見えることです
あかりちゃん達は心弱き人間です。ちょっとしたことで喧嘩したり落ち込んだり嫉妬したりくじけそうになったりetc. それでも持ち前の勇気と希望で必ず立ち直れる、一人じゃ駄目でも仲間がいるから大丈夫*2
これを何度も繰り返しているからこそ、人間の生み出す悪い感情とそれを打ち破る心に具体例が与えられ、終盤の大風呂敷も普段の延長として地に足付いたものとなるのですね
もうジュエルペット てぃんくる☆のテーマは「悲しみや憎しみに夢と希望で立ち向かう」でいいんじゃないでしょうか
2011年冬はその他にも魔法少女アニメをやっていたわけですが、ハートキャッチプリキュアも絶望=デザトリアン→プリキュアが助けて希望を取り戻すという流れになっていたわけで、「希望が絶望に打ち勝つ」王道要素が感じられます。そう考えると最後に全地球が砂漠化するという絶望的な状況というのは絶望のレベルで言ったら全人類デザトリアン化みたいなもんだったのか。そして主人公が夢を語り、希望の象徴ともいえる幼い子供を映してラストと
しかしさっき言ったジュエルペットの話をハトプリで例えたら、えりかがデザトリアンになる話*3を手を変え品を変えて何度もやってたようなものなのか
ところで放課後のプレアデスも絶望した少女を希望を持った少女が救うって話だったような。短くてあれだったけど、いやだからこそ話の底に流れるものは王道なのか!? 今度見直さないと
邪道を突き通せた場合――話題はまさかのこれゾンへ飛ぶ
王道に落ち着いた話から元から王道な例に触れてきたわけですが、2011年冬には魔法少女と聞いてあげておかねばならないアニメがもう一つあります。そう、「これはゾンビですか?」です。冗談ではなく
男なのに魔法少女に!という邪道中の王道なこの作品ですが、生きてほしいというユーの希望が夜の王の死ねない絶望へつながったり、一緒にいたいと願っていても一緒にいると不幸を呼び寄せてしまうところにまどっちと同じ「希望が絶望を生み出す」構造を見いだせます
そして主人公たる歩の決断は一緒にいること。ユーのもたらす不幸を受け入れてそれに立ち向かう。魔法少女の絶望を消し去ったまどかとは正反対ですね
邪道から王道へ落ち着いたまどっちと邪道を貫いたこれゾン。案外面白い対比ではないでしょうか
まどっちのもたらしたもの
このようにあれこれ考えてみると2011年冬というのは魔法少女ものにとって何と充実していたのでしょう! 邪道から王道への流れを見せたまどっちだけでなく、王道を駆け抜けた作品、そして邪道を走り通した作品もありました
これはまどっちがこれからのアニメにもたらす影響を考える上で大いに関係してきます。2011年冬だけで完結してしまっているのです
まどっちを受けてのアンサーとして魔法少女もので取り得る方針は2つ。1つは「やっぱ王道だよね」ということでコテコテの魔法少女ものをやること。もう1つは「王道に回帰しなくても邪道でOK!」という路線。しかしどちらも既にまどっちと同時期に行われてしまっているという
まどっちの放送が本来の予定通りに行われていれば、数時間から数日*4ののちにこれまた本来の予定ではジュエルペット てぃんくる☆の最終回が放送されていた。希望が絶望に打ち勝つ世界が構築されてまどっちが終わったあとに、あかりちゃんが絶望に打ち勝つ希望の強さをうったえる*5。それも自分が感じた夢や希望の強さを世界に願うという形で。何というリフレイン。何という運命のいたずら
放送が予定通りいかなかったのはまどっちにとって不幸なことだったと言えるでしょう*6
ともかくてぃんくるほどうまく合致していなくても、まどっち以降の王道魔法少女ものは、まどっちを経験した者にはまどっちを思い出させずにはいられないものとなるでしょう。これはある意味作中でまどかが言っていたことと同じことで、人々の心にまどかが残ってるわけです。魔法少女ものにまどっちが残した「呪い」*7といえるかもしれません(まどっちは王道を「祝福」したのに!)
というわけでこれからの魔法少女ものは「呪い」を打ち破るものを期待してみると面白そうです*8。つまり「王道から邪道へのストーリー」か「徹頭徹尾邪道なストーリー」。そんなまどっちに引導を渡す作品はいつ現れるのでしょうか*9
*1:中盤でこれを予想してた人がいるんだよなー http://togetter.com/li/107556 すげーや
*2:うーむ、7話で人間の心の弱さについて語ったオババに対するルビーの反論を思い出すとぐっとくる
*3:こういう普段犠牲になる担当はサブキャラなのを味方キャラがやるってのはセーラームーンとかでもあったおきまりのパターンですね
*4:地域によって変わる
*5:世界中の誰もが素敵な魔法使いになあれというあれ。ここでは魔法使い=強い心をもった人物と解釈できる
*7:個人的な感覚では、人間を幸せにするために生まれたジュエルペットの存在が逆に人間に幸せであることを強いるのと似たような感じ。ジュエルペットが幸せを強いるって話はここ参照→http://togetter.com/li/118364 ってもう消えてるみたいorz http://togetter.com/li/119316 コメントで別のまとめを教えていただきました
*8:王道に「呪い」を感じるのもありですが。逆に王道設定で「呪い」を意識したらどんな作品作りになるんだろう
*9:これゾンのシリアスが数年に一度レベルのできだったらまどっちは終わると同時に役目を終えるところだった…