考察とは名ばかりで感想?

最近は主にゲーム(戦略系)と資産運用(FXで食ってくぞ!)

アイカツの新曲にすっかりはまった結果、国語の勉強じみたことをしている――『Dreaming bird』を読解する

最近アニメがますます盛り上がってきたアイカツスターズの気になる新キャラ、白銀リリィちゃんの持ち歌『Dreaming bird』にすっかりはまってしまって、ここ数日はPVをリピートしまくってます。

んでアニメの方が伏線やらキャラの関係性やらが色々炸裂し始めたのが歌詞にも繋がってきて非常に興味深い。いくらでも深読みできる。のですがその前に「この一人称なのか三人称なのか曖昧な歌詞なんなの…。叙述トリックでも仕掛けるつもりなの!?」ってなったので、いい歳して国語の勉強みたいに読解することになったのです

三人称から一人称へ

登場人物

この詩に出てくる登場人物

  • 小鳥
  • 「あなた」
  • "歌い手"
  • 女神

小鳥は文中に出てくるまんま。「あなた」は実際には登場しないけど名前だけ出てくるようなポジション。そして"歌い手"。この歌を歌ってる本人。後半にかけて一人称じみた文章になってくるのでここを忘れてはいけない*1。あと別にここに書いても書かなくてもいいポジションだが女神*2

(多分)第一連(Aメロ)

鳥カゴをこわがってた小鳥は
何も変えられやしないと泣いてばかりいた
閉じ込められていたのは心
逃げ出さずその場で歌うことも忘れ

第1行で「小鳥」が登場。「鳥カゴ」と「閉じ込められていた」、「泣いてばかりいた」と「歌うことも忘れ」の関連から、第3行の「心」の持ち主は「小鳥」であることがわかり、第一連全体が「小鳥」のことを歌っている。登場人物の呼び名である「小鳥」が出てきており第一連は三人称になっている。
ちなみに第3行と第4行は倒置法になっており、「逃げ出さず」、「その場で」、「歌うことも忘れ」が並列して「閉じ込められていた」を修飾している。「心」の後ろに断定の助詞「だ」を補うとよい。

(多分)第二連(Bメロ)

折れた翼見つめても元には戻らない
この手のひらに残されたもので
何が出来るかを見届けていかなくちゃ

第一連と異なり登場人物を表す言葉が出てこない。第一連からの流れで「折れた翼」の持ち主でありそれを「見つめて」いるのは「小鳥」だと考えられる。また「翼」と「手のひら」、もしくは「折れた翼」と「この手のひらに残されたもの」の対比から「手のひら」も「小鳥」のものである*3
しかしここで「見届けていかなくちゃ」という表現が登場する。「いかなくちゃ」は「いかなくては(ならない)」のくだけた形であり、意志を表す表現であるから、ここで自身の意志を表明している"歌い手"をこの詩の登場人物として数えることとなる。したがって第二連は一人称であると言える。
一方、一人称において「手のひら」が近称の代名詞「この」によって修飾されていることから、「手のひら」の主は"歌い手"自身である。一方上で述べたように「手のひら」は「小鳥」のものであるから、「小鳥」="歌い手"となる。

(多分)第三連(サビ)

その場所へ飛んでいくことはできない
ならせめてこの歌声だけでも届け
すべての傷を癒やす女神にはなれなくても
木漏れ日のような安らぎを
恐れることなどない この青空の向こうにいる あなたへ
あなたへと歌う あなたへ

第三連でも第二連と同様に行為の主体として登場人物を表す言葉が出てこない。しかし、「飛んで行くことはできない」のは翼が「折れた」小鳥="歌い手"のことなのは明らかであるし、「届け」という命令形や「恐れることなどない」という価値判断を含む表現の使われ方から、一人称だとわかる。

ここまでのまとめ

まとめると、第一連では三人称である視点が、第二連で一人称となり、「見届けていかなくちゃ」で一人称が確定して第三連へ続くという流れになる。
それではこの変化は何を表すのか。ここで過去の助動詞「た」に注目する。第一連は「こわがってた」「泣いてばかりいた」「閉じ込められていた」というように過去のこととして語られている。一方、第2連に現れる「た」は<存続>を意味するもので「ている」と置き換え可能であり、過去を表すものではない。そして第三連には「た」が現れない。
つまり、第一連では"歌い手"が過去の自分について距離をおいて三人称で語っているのに対して、第二連を経て第三連では現在の自分について一人称で語っているのである。第一連と第三連では「歌うことも忘れ」と「この歌声だけでも届け」や「鳥カゴをこわがってた」と「恐れることなどない」という対置される表現によって過去と現在の変化が表されており、三人称によって過去の「小鳥」と現在の"歌い手"に距離を感じさせることでこの変化を強調しているものと思われる。
ところで、第一連では「こわがってた」「変えられやしない」というくだけた表現が現れるのに対して、「見届けていかなくちゃ」を境に第三連では「飛んでいくことはできない」や「恐れることなどない」という硬い表現がされるのも変化が見えて興味深い*4。特に「こわがってた」はかな書きなのに対して「恐れることなどない」は漢字なのが。また、一人称を確定させる「見届けていかなくちゃ」について、逆に三人称の部分に現れるようなくだけた表現になっていることや、一人称で自分のことを語るにも関わらず"見届ける"という第三者的な語を使っていることが、三人称で語られる過去とのつながりを感じさせて逆に過去との決別を強調しているようで味わい深い。

*1:物語文だったら「わたし」とか「ぼく」とか出てきて呼びやすいだろうに

*2:国語の授業だったら先生が「登場人物を答えて」って生徒に聞いて「もういないかな?」っていうくらいのタイミングに名前があがるタイプ

*3:そう考えると「見つめて」と「見届けて」も対比になっている

*4:でも「変えられやしない」は表現が古くさすぎて小鳥の幼さが感じられないな!