考察とは名ばかりで感想?

最近は主にゲーム(戦略系)と資産運用(FXで食ってくぞ!)

「大人でも楽しめる」の怪を斬る

通勤中にRSS*1をチェックしてたら

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2、3日前に燃えてたのこれか!!*2

大人が見ても楽しめる*3」といった、子供向けアニメのファンの間ではナパームのごとく可燃性の高いセンシティブなワードを繰り出しつつ、論理がツッコミどころありありの激甘なのでそりゃ燃えるわ

以下で掘り下げてツッコミを入れていくので、大いに冷静で客観的な分析を改めてやり直してほしいものである

(予め断っておくが、「プリリズの方がプリパラよりストーリー”濃い”よね」というようなことは自分も思っている。いるのだが、元の記事は論理の展開や肉付け、理由となるポイントがどうにもおかしいと感じられるのだ)

「大人でも楽しめる」の錯誤

何を持って「大人が見ても楽しめる」なのか

どうも件の記事では

  1. 大人は忙しくて時間がない
  2. 忙しいのでより短時間で「濃い」ストーリーを味わいたい
  3. そこのところプリリズは「濃い」ので向いてる/プリパラは「薄い」ので不向き

という意味合いでもって「大人が楽しめる/楽しめない」という議論をしているようだ*4。しかし、ここの論理はどうにも危ういところがある

大の大人に「薄い」物語が人気ですよ

まず、「”濃い”ストーリーは大人に勧められる」「ストーリーが”薄い”作品は大人に向いていない」というのには明確な反例となる作品群が存在する

いわゆる「日常系」である

日常系の代表例として例えば「けいおん」が挙げられる。2期3クールという、奇しくもプリパラ1期と同じ期間の長さに渡って、女子高生の日常を描きながらゆるゆると物語を紡いでいった

言うまでもなくけいおんは原作漫画からして大人をメインターゲットにしている。そしてけいおんは言うまでもなく大ヒット作である。これらの事実をもってすれば、必ずしも「濃い」作品ばかりが大人の視聴に適するとは言えないことは明らかだろう

プリリズは言うほど「濃い」か? 忙しい人向けか?

お世辞にもプリリズは忙しい人向けではない。1、2クール単位の深夜アニメが数多く作られ、15分以下の枠のショートアニメも増加している昨今、30分枠としては実質の1話の長さは短めでも、1作品4クールのプリリズはなかなかの大作である。むしろ3クールと若干短いプリパラ1期は視聴しやすい方と言えよう*5

このことについては元の記事でも、一度”大人が見ても楽しめるといった『プリリズ』のような魅力”と断言しながらも、”例えば『プリティーリズム・レインボーライブ』は、少なくとも2クール見れば確実に話の筋が面白いというだけでも「比較的大人向け」ではあるのかなと”という気弱な言い回しが出てくるところに現れているだろう

そもそも、RLでも2クール見ればなんとかというレベルであれば、ADはまだしも、DMFに至ってはどうなってしまうのか。正直、主にRLとキンプリのみを念頭に置いて「プリリズ」と呼称するのは、ADから追いかけてきたファンからすれば笑止千万である

(以下6/4追加)

プリパラの一話完結具合とストーリー性

どれほど一話完結なのか

プリパラにおいて「1つの話で提起された問題を必ずその話の中で回収する」ことは果たして徹底されているだろうか

プリリズに比べてプリパラは一話完結の傾向があるとはよく言われるが、それも程度問題である。外で自信をもって歌えないらぁらや、そふぃの自立に関する話など、特に1クール目は回をまたぐテーマが見受けられる*6

また、アイドルみれぃの正体判明や新キャラシオンの登場など、プリパラはしばしば次回への強烈なフックでもって回を終えることが度々ある*7。これも単純に一話完結だと言い切れないところだ

ちなみに、クールの変わり目が淡々としているように感じられるのは、話の山場がそれより前に置かれているだけだ(1クール目であればチーム結成。2クール目であれば学園祭)

一話完結におけるストーリー性と面白さ

元記事の論ずるところによれば、プリパラは一話完結の形式によって、「面白い話」を二の次にして作品世界を描くことに注力しているという。ここで元記事は致命的なミスを犯した。一つに、元記事において「面白い」とはどういう尺度によって測られるのかを明示しなかったこと*8。二つは、本来複合的な尺度でもって評価される「面白さ」というものを、単一の尺度に押し込めるという愚を犯したことである

ここで一つ考える必要があるのは、果たして一話完結の話というのは(元記事の「面白い」の定義からは離れて)「面白い話」足り得ないのか、という命題である。答えは当然「否」であろう。一話完結というからには、1話単位でのストーリーがある。さらに、良質な一話完結作品は、1話単位のストーリーの反復と変奏で、一見連続性の薄いエピソード群でも全体としてストーリーを織りなすものである*9

ここから、元記事の錯誤を2つ指摘することができる。1つは一話完結の構成が「ストーリー性」を度外視しているという誤解。2つ目は自らの重視する「面白さ」の尺度によって、その他の「面白さ」の尺度を半ば排除している点だ

後者については、その他の「面白さ」を否定しているわけではなく、むしろ肯定的に言及しているという趣旨の弁明が補足記事でなされている。しかし、一つの尺度でもって”「面白い」と評価するのは難しい”と断定した後に、「キャラの魅力、超展開や意味不明な台詞の多さから来るトンチキな面白さ」について肯定されても、後から取って付けたような、後者の面白さを一段劣ったものとして見ているような、否定的な印象を受けかねないのが正直なところだ

そもそも、「ストーリーよりも」「面白い話を楽しんでもらうというより」「大人が見ても楽しめるといった『プリリズ』のような魅力は"現時点では"感じられない」「内容が薄すぎるこの作品を「面白い」と評価するのは難しい」といったファンの感情を逆なでしかねない迂闊な言い回しをしてから、それが悪いというわけではないと弁明がくるので、そりゃ悪意がないのは分かっていてもモヤモヤするというか「喧嘩を売るのがお上手ですね」という感想になるのも当然だろう

酷く単純化した言い方をすれば、元記事から受ける印象と言うのは「俺の考える面白さはこれだ! この面白さはプリリズにはあるがプリパラにはない! まあプリパラには別の面白さがあるんですけどね」というのの繰り返しになる

(以下6/5追加)

物語をいかに評価するのか

さて、話題の中心を↓の補足記事に移そう

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先の記事で言う「面白い」とは、キャラクターの「到達点」が描かれているか、という点に依るのだという

本題とは逸れるが大切なこと

↑では敢えて記事タイトルにある「内容が薄い」という言葉は使わなかった。何故って? 最初の記事で「薄い」って言葉は1回しか出てこなかったので。そして補足記事でも最初の記事でも「薄い」よりも「面白い/面白さ」の方が多く使われている。ついでに言うなら、「薄い」プリパラと「濃い」プリリズを比較する記事なのに「濃い」という単語は全く登場しない

ここから察するに、「面白くない」と言ったら角が立つから「薄い」という言い回しを用いたのだろう。最初の記事での燃料投下っぷりからすれば大いに評価できるが、そもそもの話「面白くない」よりも「薄い」の方が妥当だろう。が、相変わらず「面白い/面白さ」の方が文章に多く出てくるあたり本音が透けて見える。さらに言えば、「内容が薄い」ももっと適切な言いようがあるだろうに。何で最初の記事で使った「物語性が薄い」という穏当な用語をしなかったのか

(以下6/6追加)

「到達点」はどうなのか

話を本題に戻そう。補足記事によれば、元ブログの中の人は、「ストーリー」とは如何に登場人物の「到達点」を描き切って「物語」を完結させるかであり、そこの良さこそが多くの人に受け入れられる「面白さ」である、という考えのようだ

そしてそういう「面白さ」に偏っている例としてプリリズRLを挙げ、プリリズADはバランス良く完成度が高いと述べている

…いや、「到達点」を描き切ってるかどうかだったらRLよりADやDMFだろ

思い返せばRL終盤の展開は、それまでの盛り上がりによる期待を完全に満たすとは言い切れないものであった。他と比べてどうにも扱いが小さくなってしまったおとは、単独での課題は序盤にほとんどこなしてしまったのでタイミングがとってつけた感のあるあん、3クール目で本人やコウジ君の心境の変化を済ませていて後は周囲の大人が問題を解決するだけでしかなかったいと。それにこれまで複数人の物語が絡み合って濃厚なストーリーを紡いできたのに、この3人のエピソードは最後の最後でそこが弱い展開になってしまった。他との絡みが最後の最後で薄くなってしまった点については、あれだけメインキャラと絡んで話を盛り上げてきたオバレの3人についても同様だろう。これらのエピソード単独でも相当な盛り上がりを出していたRL終盤だけに、この辺りで全体のストーリーとしての一体感があれば、という欲が出てきてしまう

一方、ADの終盤はメインの3人を中心に、3人を取り巻く人々の物語が交錯し、絡み合って全体のストーリーを作り上げ、一体となって作中世界の人々の思いの到達点を描いていた点で言えば申し分のない傑作だろう

とはいえRLの方が例として出てくるのも不自然ではない。終盤だけでなく全体を見れば、中盤にも濃厚な物語を展開していたRLの方が「濃い」印象を受ける。逆に言えば、「到達点」でもって「話が濃い/薄い」の評価をするのは、評価のポイントが違うのではないかという違和感を禁じ得ない

ここで問題になるのがプリパラの扱いである。「到達点」の問題であれば、一応は作品の途中である1期の段階で「薄い」と断言するべきではない。最初の記事で1ヶ所書かれている”「特に言うことはない」という結論”に徹すればよい話だ

何故このような混乱が生じるのか。それは、元の記事において1話単位での特徴に対する論評と1シーズン全体での特徴に対する論評や、話の途中での評価と話が終わってからの評価が混同されているからだ。そこら辺の交通整理のされてなさが、読み手の誤読を誘い、要らぬ反発を招くことになる

「多数派」ってそれ本当?

大人が楽しめる云々については流石にまずかったのがわかったそうなのだが、補足記事での言い訳では火に油である

3クールもあるのに物語が薄い作品を大人に薦められるかどうかで言えば、上で述べた日常系の例で言えば十分薦めるだけの価値はあると言えよう

そもそも、ストーリー性の高い作品を求めるのが多数派というのはどういう了見だろうか。ストーリー性の低いコメディにも人気作品は多々あるが、それともそのような作品はストーリー性の高い作品よりも人気で劣るとでも言うのだろうか?

コメディではない例も考えてみよう。『ブラックジャック』は老若男女に人気の作品だが、無免許医師ブラックジャックの「到達点」は作中で描かれただろうか? 『ゴルゴ13』はどうだ?*10 これらの具体例を前にして「明確に完結した物語を求めているのが多数派」とまで言い切れるのか

このような「多数派」議論は、ネットでの「人気」議論と根本は同じである。突き詰めたら泥沼の宗教戦争にしかならない。このような議論に足を突っ込んでおいて、反発を覚悟しないのであれば迂闊である

「少数派」を貶めるな

「多数派」の話が事実だとしても、それは「多数派」を言い訳にしているに過ぎない。「少数派」に対して作品を薦めてはいけないという法はなかろう。「多数派」だけを念頭において記事を書くなら、軽んじられた「少数派」の反発を受けるのも甘んじて受け入れるべきだ。何故「プリリズを期待した人にはお勧めしづらい」みたいな適切な言い回しができなかったのか

正直、元の記事は「少数派」とした人々を下に見ているような印象を受ける。上で敢えて”多くの人に受け入れられる「面白さ」”という言い回しをした。ここまで言えば、元の記事の主張が少なからず「少数派」を煽るようなものであることが分かりやすいだろう

これを機にアンチ耐性を身に着けられるとよいですね

「否定部分だけを見て本当にキレる人が集まってきたコンテンツは初めてです」とのことだが、正直、それは幸運にもこれまでファン層の治安がいい作品にばかり関わってこれたか、不幸にもめんどくさい人が意見してくるほど記事がバズらなかっただけだろう。この機会を生かして、肯定的なことを書けば批判されないなどというナイーブな考えは捨てて、理屈の怪しい意見に対して慣れていただきたい。なあに、どうせ人間だれしも理屈が完璧なわけではない

そもそも、最初に燃えるようなこと言ってキレさせたら、後でフォローを入れてもそこをちゃんと読んでもらえなくてもしょうがないというのもある

*1:はてブのキーワード検索から、3つほどブクマがついたやつをRSSに送るようにしているのだ

*2:得てして炎上元はそれに対するリアクションより流れて来づらいものである。TLの治安が良い限りは

*3:この手のワードは子供向け作品一般をdisってると取られやすいので、子供向け作品の愛好家にとっては即、臨戦態勢のスイッチが入るワードなので、そういう意図がない限りは避けるのが無難

*4:子供向け作品のファン界隈の皮膚感覚がないのであればしょうがないが、この趣旨の議論に対して「大人の視聴に耐える」みたいな炎上覚悟必須のワードを持ち出すのはリスキーが過ぎる

*5:ガンダムでいうとXのポジションである

*6:おそらく、当初は3クールで完結するプロットになっていて、1クール目はそれに沿ったストーリー展開だったのだと考えられる

*7:プリリズは露骨にそういう展開をすることは少ない。べる様のプリズムライブが尺に収まらなかった時くらいか?

*8:これは補足記事で弁明されている

*9:1クール目の話づくりは、プリパラがそうした良質な作品となることを予感させるものであった。残念ながら全体としては予感で終わったのだが

*10:まあ『ゴルゴ13』は今後描かれる可能性がなくはないけど