考察とは名ばかりで感想?

最近は主にゲーム(戦略系)と資産運用(FXで食ってくぞ!)

魔法学校とはなんだったのか――最終回を受けて

なんとも久しぶりに書きます

ぼけっと見てると

  • なぜ「3つの願い」はああなったのか
    • 漫画家になりたいのは?
    • すぐに「幸せの花」が見つかるようにしないの?
  • 人間界で魔法が使えないんだから魔法学校で勉強した意味無くね?

などと疑問に思えるのでちょっくら考えてみましょう
最終話の3つの願いに関する流れは

  1. いろいろ考えて迷う
  2. 他人のために使うのを本人に断られる
  3. アルマの決意を聞く
  4. ルビーとの別れを受け入れる
  5. 卒業式
  6. 「願い」を使う

となっています。

2で、夢は自分で叶えるというミリアと沙羅の決意を知り*1、3で新しい生活に臨むアルマの決意を知ったことで、あかりちゃんも自分の力で前に進むことを決意したわけです。それによってあかりちゃんはルビーとの別れ(=ジュエルランドとの決別を意味する*2)を受け入れます。伏線もなしに幸せの花だのなんだのが出てきたのはこの「ルビーとの別れ」をさせるためでしょう

さらに自分の力で進むのですから、夢は自分で叶える=(漫画家になる夢などは)「願い」を使って叶えないというわけですね。同様に考えれば、1つ目の願いが「幸せの花がすぐ見つかりますように」といったものでないのは、ルビーに自分の力で見つけてほしいとあかりちゃんが考えてるからだとわかります*3

では3つ目の願いの前に魔法を学んだ意義について考えて見ましょう。今までの展開から魔法の力=心の力というありふれた話になっていることがわかりますが*4、そこから考えると魔法を学ぶ=心を強くするということがわかります。ですから、卒業して魔法が使えなくなっても、魔法を学ぶ過程で手に入れた強い心は生徒達に残ってるわけです。この強い心が自分の力で進む原動力となり、あかりちゃん達の決意につながっているのがポイントですね

ということで、ジュエルストーンを返した=魔法を捨てたけど「魔法は心の中にある」というわけですね。逆に考えれば、わざわざジュエルストーンを返す展開にしたのは魔法を捨てたということを表すためだ考えられます。こうして伝統的な「魔法はいらない、夢は自分の力で叶える」エンドをあまり直接的ではない形で向かえることができました。魔法=心の強さということで、仲間との経験から得た心の強さを肯定しつつ、魔法を否定したことによる今までのは何だったんだを無くしています

さてさっき出てきた「魔法は心の中にある」という台詞の後にあかりちゃんは3つの願いを決めるのですが、3つ目の願いというのは世界中の誰もが素敵な魔法使いになあれというもの。魔法=心の強さ→魔法学校を卒業=十分な心の強さを身につけた(心に魔法を持った)→魔法使い=自分の力で進んでいける心の強さを持った人と解釈できますので、自分の力で進むことを決めた自分たちのように世界の人々が自らの力で進んでいけることをあかりちゃんは願ったのですね。クリスマス回の39話で人々の幸せを祈ったあかりちゃんらしい願いです

最後に、後日談として順調に夢へと向かっていく仲間達を見せたあとに改めて決意をするあかりちゃんを出して、あかりちゃんも同様に夢へと進んでいくことを暗示してジュエルペット てぃんくる☆は終わります*5

いや〜、とてもよくできたアニメでした。こんな素敵な作品を世に送り出してくれた、関係者の皆様に乾杯!

*1:直接決意を述べて無いけど、願いを断ったUMA君も同様

*2:聞こえのいい言い方をすればモラトリアムの終わり。身も蓋もない言い方をすれば現実逃避の終わり

*3:2つ目の願いも同様。どうしても友人への感謝を表したいので、ただ感謝してるも同然の願いに

*4:例えば今回卒業式での校長先生の言葉は「優しさと強さと輝きにあふれた魔法を身につけた」=優しさと強さと輝きに満ちた心を手に入れた

*5:あかりちゃんが夢へと進んでいる具体的な描写がないのは感情移入するための主人公として設定されてるから。夢がやたら多いのと同じ理由