考察とは名ばかりで感想?

最近は主にゲーム(戦略系)と資産運用(FXで食ってくぞ!)

【Victoria2】オルレアン朝今だ健在――フィリップ7世の治世1【プレイレポ】

この記事は、帝国主義時代をテーマにしたRTSゲームであるVictoria2のプレイレポートです。

長くなってきたので分割しました。
(何となく思いついた)プレイレポのタイトルにちなんで、オルレアン朝が続いていたら王位を継いだであろう、オルレアン家の家長が代替わりした年で区切っていこうと思います

↓元記事

kurutto115.hatenablog.com

19世紀もちょうど半ばにして、ルイ・フィリップ王は世を去った。彼の長子は既に亡く、王太孫が位を継いだ。その名はフィリップ7世である。その頃フランスは来たるべきアフリカ奥地征服に向け、着々と橋頭保を築きつつあった。また欧州では、スペインに対する戦場での勝利と、プロイセンに対する外交での勝利によって、フランスは大陸の覇権を握りつつあった

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滅びゆく国々(10/10更新)

バルカン半島に主軸の移った対オスマン戦は思いのほかあっけなかった。押し寄せる同盟諸国はとうとうオスマン帝国の全陸軍を撃破。後は領土を塗りつぶすばかり。残された海軍が港から出てくるが、そこに待ち受けるフランス艦隊にたちまち敗北。事ここに至ってついにオスマン帝国は降伏した。終わってみれば昨日「オーストリアの要求も通してやるか~ しょうがないなぁ」とか思ってたのが嘘みたいだ(というかよくよく考えたら最初からオーストリアがMVPだわ)。というわけで無事リビアを獲得

アンゴラ王国独立とマダガスカル併合(1851年)

進めていた研究がちょうど1849年の中ほどに終わったので、ちょっと待って1850年になるとともに「ナショナリズム帝国主義」の研究を始め、これを終えることで翌1851年には「文明化への使命」を「発明」した。これでアンゴラ内陸部に入植が可能になり、早速入植開始。入植が終わる前に南アンゴラ王国*1を独立させて悪評を下げる。入植してからだと、そっちも丸ごと独立してしまうので*2

↓入植開始とともにアンゴラを独立させる

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↓入植を終えたフランス領(紫)と南アンゴラ王国(赤)

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一方、「文明化への使命」によって「メリナ王国の終焉」のディシジョン(決断、決定)、つまりマダガスカル併合が可能になった

↓フランス領となったマダガスカル

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ちなみにグランドキャンペーン開始時点でオスマン帝国と戦争状態にあるトリポリを除くと、このプレイで初めて滅亡したアフリカ国家となった。というかあんなに侵略してたのにまだ滅亡させた国なかったのか

ところで、「ナショナリズム帝国主義」の研究を終えることで、列強は4ステート以下の非文明国を「保護国化」により併合できるようになる*3。これで色々と捗るが、まず狙うはオマーン

今回はここで与党が好戦主義の場合に、大義名分の作成スピードが3割増しになるのを利用する。通知を見落としていたらしく、いつの間にか*4新しい政党ができていた。自由主義自由主義(リベラル)派と、保守主義ボナパルト派だ

↓新しい二つの政党

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早速与党をボナパルト派に変更する*5大義名分の作成スピードが上がると、発覚のタイミングが相対的に作成期間の後ろになりやすくなるため、悪評が増加しにくい。好戦主義の効果もあってか、工作が発覚せずに=悪評増加0でオマーン保護国化の大義名分を手に入れた。実にお得だ! それにしても正統王朝派、共和派に続いてボナパルト派が政権を握る7月王政って一体…

オマーン戦争(1852~1854年

オマーンと同盟国のアブダビは各1個連隊の兵力しかもたない弱小国である。なのでこれを倒すよりも、飛び地の多い領土を占領していく方がよっぽど手間がかかる。おかげで全土占領したのにオマーンが降伏しないからおかしいなと思ったら、ザンジバル島を占領していないのに気づいてオマーン本土からいそいそと戻る一幕もあった*6

↓フランス領となった旧オマーン

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このアフリカ側の海岸沿いに細長く伸びる領土が、自国の入植と他国の入植妨害に非常に便利だ

ところでオマーンに宣戦布告しようとしたちょうどその時、スペインがエチオピアに宣戦布告したとの情報が入った。エリトリアの割譲を要求してるようだ。スペインが進出するのはモロッコが定番だが、既にこちらが進出を始めているので、対立を避けたのだろうか? スペインは一度フランスに負けてるわけだし。まあ、エリトリアだけならジブチくらいにしか入植できないし*7、そもそもスペインは東南アジアで忙しくてアフリカに手を出してこないのが普通だから大目に見てやろう。そしてスペインが休戦してる間に素早く残りのエチオピア領をゲットだ!

(その時筆者はもう一つ今後の展開を予想していたが、その時はその時なので特に何かしたわけでもなかった。この予想は後に現実となったため、詳細は後述する)

第2次ソコト戦争(1854~1856年)

オマーンの次は同じくアフリカ入植に重要なソコトの残りを丸ごといただく。悪評の増加は3ちょっと。やっぱり好戦主義万々歳だな!(金欠のオスマン帝国プレイでは親軍主義の下位互換にしか思っていなかったが)

オマーンに侵攻した部隊をギニア湾沿岸に輸送し、ソコト攻略はつつがなく進んだ

ソコト帝国の併合終了

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(ちなみにアフリカの大陸部ではトリポリを除いて初めて滅亡した国である)

しかし、戦争前に気になるニュースが入ってきた。ポルトガルからアルジェリアへの開戦工作が発覚したとのことである。果たしてこちらがソコトを攻めている間にポルトガルも開戦。要求は以前アルジェリアがモロッコから獲得したタザ・ステートの割譲。ええい、スペインに続きポルトガルまでもアフリカに手を出すのか! アフリカ統一に水を差すな!

あれ、でもフランス領の隣に見えるアルジェリア軍って、小国の割に結構いたよな? そう思って2国の連隊数を比べる。アルジェリア11に対してポルトガル12。おいおい、人数じゃほとんど同レベルじゃないか! いくら文明国の技術があるとはいえ、防衛側よりわずかに多い程度では…

そもそも植民地を各地に抱えるポルトガルは一ヶ所に全軍を投入できない。たまたま、ポルトガルモザンビークから4個連隊が輸送船4隻に乗り込むのを目撃したが、案の定アルジェリア沖に現れた輸送船も4隻。勝てるわけがない。案の定、アルジェリアの軍勢を前に攻めあぐねているようだ

一方、エチオピア(及び同盟2ヶ国*8)と開戦したスペインの方も、まるで攻略が進んでいる様子がなかった。というかついに負け始めた様子。正直こうなると思ってました。まあ拠点がない土地に大軍を持っていくのは難儀だからねぇ。こりゃどっちも白紙和平だな

↓負け始めたスペインと戦いが進まないポルトガル

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とりあえず今後似たような場合に備えて、狙ってる国にはFriendly参戦できるように準備しとこう(というか上の画像の時点でアルジェリアにはFriendly参戦の手はずを整えた。が、助太刀の必要はなさそうだ)

世界情勢その他のトピックス

こちらがぼっこぼこにしたオスマン帝国だが、流石に元列強の底力、数年後にはエジプトをボコボコにしていた。まあエジプトも散々ボコられてるからね。こうしてオスマン帝国はエジプトのアラビア半島側領土をすべて獲得し、コアプロヴィンスを全て回復した(↓)

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ありがとうございましたもうこれで結構です。残りはこちらが全部いただきます*9。まあ負けたエジプトはロシアと同盟したので、もうオスマンは手出しできないだろう。こっちもだいぶ手出ししにくいけど。ここはこちらの同盟国である、オーストリアペルシャ*10両国に対する2正面作戦を強いることで、参戦を思いとどまらせるしかないか

オランダが以前のベルギー併合で消耗したのか、アチェやバリを勢力圏に入れるだけで征服してない。まあこちらには関係ないことだ

内政では国力傾注を宣教師養成から工員養成に変えたのだが、国力傾注してようやくまともに増える感じだ。フランス革命ナポレオン戦争の後遺症で出生率が低いらしい。工業点どうしたもんかな~ と考えていると、攻略wikiのプレイレポ*11にとんでもなく有用な情報があった。曰く、海外投資で投じた資金がそのまま工業点に反映されるそうだ! よっしゃ、フランスは金なら相当余ってるぞ! というわけで、両シチリアに工場を建てたり(↓)

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ブラジルに鉄道を引いたりなどした。というか既に国内の資本家が教皇領に投資していた。結果……

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おお! 確かに工業点に海外投資の点がある! これは人口が微妙なフランスの救世主ですな

とは言え、そもそも金を貯めているのは植民ポイントのための装甲艦量産と、そのための港の整備にかなりかかるからでもある。今のところ未使用植民ポイントは600点程度を維持している。そして艦隊の補給限界は残り100程度を維持。単純に計算すると400点増やすことができる…… マジか! じゃあ1870年に800点とか言わず1000点を目指そう! この嬉しい誤算は、おそらく植民地ステートの本国ステート化⇒コアステート化が複数の植民地で起こり、そこの港が植民ポイントに加算されるようになったからだと思われる。そしてついに1855年を迎え、必要な研究を終了してレベル3の港を建設可能に! どんどん造るぞ~ しかし金が飛ぶように消えていくー

国力を信じて(10/11更新)

エーゲ海諸島危機(1856年)

このプレイ初の危機イベントは定番のギリシャVSオスマンという形で生じた。大抵ロシアかイギリスがギリシャの側につくのだが、今回はトルコ側にロシア、ギリシャ側にオーストリアという形*12。フランスとしては同盟国のオーストリアにつくのが筋だが… 他の国の様子を見てみるとゲゲッ! うち以外全部ロシア寄りじゃねーか! というわけで見切りをつけてロシア側につく。最終的に日和見に終わったプロイセン以外は全部(英仏蘭)ロシアについたわけだが(↓)、その状態で2、3ヶ月粘ったオーストリア強気だな… どんだけロシアとオスマン敵視してんだ

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タザ戦争介入(1857年)

旧モロッコ領のタザ・ステートを巡るアルジェリアポルトガルの戦い、ポルトガルがろくに戦闘に勝ててないようなので、こりゃ白紙和平だなと油断していたら、何か結局ポルトガルが勝つようで。う~ん、フランスちょっとそれは許せないなぁ癪だなぁ。邪魔しちゃおうか? そうしよう

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↑こんな講和

修正してやる!↓

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というわけでちょっと戻ってFriendly参戦 即 和平提案。たちまち我がフランスの軍事力に恐れをなしたポルトガルは、一戦も交えずしてアルジェリアの要求する原状回復にて講和に同意。これぞ棍棒外交! 大国の横暴! う~ん、癖になりそう!

ポルトガルには大層恨まれそうだなぁ。でも

ポルトガル政府「正規兵が2年以上戦っても勝てないので予備役を動員します」

ポルトガル市民「うへぇ」「マジかよ」

フランス政府「それ以上やるようなら敵に回ります」

ポルトガル政府「はい… ポルトガル講和します…」

の流れなので市民には喜ばれるかもしれん

しかし、癖になるもなにも実際便利だなFriendly参戦。これなら益の少ない小国との同盟なしで必要な時に介入できる。というわけで、エジプトやズールーなど他に取られたくない国は影響度をFriendlyに上げておきました

第2次地中海戦争(1857~1858年)

オスマン帝国から2度目はトリポリをいただく。って何かロシアも敵で参戦してるぞ!? 実はメッセージ設定の不備で全く気付いていなかったのだが、ロシアはエジプトとの同盟を切ってオスマンと同盟していた。道理で国際危機にオスマンの肩を持つわけだよ。しっかしフランス、オーストリア、両シチリアペルシャを相手にしてよく律儀に同盟参戦するなぁ。不意のロシア参戦で正直大丈夫かと思ったら普通にオーストリアが持ちこたえた

オーストリア国境の戦線。右翼からの両シチリア軍の活躍もあって、この後ロシア領内に戦線を押し返す

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そりゃこの前の危機でも強気なわけだよ

一方フランスは自国領のシナイ、リビアからオスマン領内に侵入。敵の数は少なく着々と占領を進めた。他方海上は予想外の盛り上がりを見せていた。前回は教皇領艦隊にすら追い回されてたオスマン帝国艦隊が、今回はフランスの1個艦隊をも上回る主力艦隊の姿をあらわにしたのである!

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こっちの一番強い艦隊の規模が43隻に対して向こうは60隻だとう!? 他は数隻単位でうろちょろしてるだけとはいえ、今のオスマン帝国のどこにそんな力が…と思ったら60隻中25隻は輸送船じゃねーか! 戦闘艦は戦列艦17隻にフリゲート18隻て、こっちは各15隻だから大して変わらん。本国から援軍を呼ぼ

果たしてフランス本国から仮装巡洋艦8隻が到着し、クレタ島に停泊していた43隻と合流。同盟国艦隊の後を追って敵主力に突っ込んでいく。多少の損害はあったものの、敵主力艦隊を撃滅せしめた

その後、黒海ロシア海軍を追いかけたりしながら海陸で勝利を重ね、トリポリをフランスに、モンテネグロ地域のうちオスマン帝国が領有するプロヴィンスオーストリアに割譲することで講和となった

内政と外交他

悪評がそこそこ溜まってきたので、それからしばらくは大人しく内政と外交にそれなりにいそしむ。主に港の建設とFriendly参戦したい国への影響力獲得、ドイツに抱えるフランス勢力圏の維持。そして鉄製蒸気船の研究が可能になる1860年に! これでもうすぐ装甲艦が作れるぞ~ 量産に向けて材料を溜める作業だ!

さて、港を整備したら海軍許容量が500を超えちゃったので、装甲艦100隻も理論上は可能だが、確実に財政が保たないな。40隻を目標に予算の様子を見ながら決めよう。陸軍も結構予算圧迫してきたし。ところで今の植民ポイントは……いつの間にか900近く未使用がある!? こりゃ目標を1400ポイントに引き上げですわ

ところでスペイン君は今だにエチオピアと負け戦してます。もうそろそろ8年になるぞ… もう結果を待たずこっちも同じエリトリア割譲で宣戦して、横からかっさらう予定。それまでせいぜいスペインにはエチオピアの戦力を削ってもらう

在庫の管理を間違えた(10/12更新)

戦争してないと面白いネタが少なくて困る

まあそれはおいといて、1860年リューベックにおいて社会主義が「発明」された

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これで改革が進むぞ~ と思いきや

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↑赤が社会主義派閥の上院議員

ぜ、全然人気がない。無政府自由主義の方が人気って… これじゃ政権を担当させても改革の足しにならない。こりゃ選挙期間中の呼びかけとかでもっと人気が出るようにしないといけないけど、政策自体はボナパルト派あたりが一番いいんだよなぁ

そんなこんなしてるうちに鉄製蒸気船の研究が終了。後は装甲艦の発明を待つばかり。お、来たか? いや、砲艦お前じゃない。僕が待ってるのは

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キタ━━━(゚∀゚)━━━!!

これだよこれ。早速本土の港8ヶ所で製造開始だ! 大体作るのに3/4年って感じだから、まあ1870年までに40隻ってのは余裕だな

頑張って材料の在庫を溜めたおかげですぐさま製造が始まる第1弾であったが、異変は第2弾で起こった。あれ? 材料待ちのまま? 大砲と缶詰が無い? そんな馬鹿な。在庫があるはずって設定間違えて売っぱらってたー!? しかもこんな時に限って世界市場に全然流通してない。世界市場の流通量が回復するまで若干待たされるのであった

そんなこんなな1861年、2度目の国際危機が発生。今度の部隊はマケドニア。はい、またぁお決まりのギリシャVSオスマンですねわかります。再びギリシャ側にオーストリアオスマン側にロシアがつく。オーストリア以外の欧州列強は再びオスマンを支持。英仏普露蘭西の全てを向こうに回すまで粘るオーストリアであった

さーて、そろそろ悪評も下がってきたし、次の戦争はエチオピアからエリトリアをもらいましょうかね。既にスペインが争って戦争してるけど、放っといてこっちも宣戦すればいい。ということで宣戦の正当化工作をしていたら

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おっ、ちゃんと白紙和平してくれましたね。偉い偉い。さて、ならばエチオピア軍が兵力を回復する前にさっさと仕掛けなきゃあ。と部隊の配置を進めるのであった(続く

たまたま見つけたほのぼの(棒)コーナー。クラクフで革命を起こした汎ポーランドリトアニア国家主義者の軍勢がオーストリアに越境して撃退されるの図

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ロートリンゲンの涙(10/13更新)

昨日面白いネタが少ないとか言ってたら、だいぶ面白いことになってきたぞ(白目

第1次エチオピア戦争(1862年

予定通りエリトリアの割譲で宣戦。占領地をわざと無防備にして敵を誘導したりして、敵主力を挟み撃ちで撃破。エリトリアの占領を進めているところで講和となった

第3次仏埃戦争(第3次フランス-エジプト戦争、1863年

領土を失い続けたエジプトはもう陸軍というものが全く存在せず。戦争は淡々と占領を行うだけで終わった。まあおかげで占領することでしか戦勝点がもらえないから手間ではある。ドンゴラ・ステートを獲得

ドイツ統一1864年

それは年が明けて間もなくのことであった

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え? は?? じゃあまにぃ???

おかしい。ザクセンホルシュタインをフランス影響下に置くことでドイツ成立フラグは折っているはずだ。現にこの2ヶ国と、オーストリア勢力下のナッサウ、バーデン、ヴュルテンベルクドイツ帝国に参加していない。年初のオートセーブを使って何度か試してみたが、統一したりしなかったりで、どういう条件で起こるのかわからなかった。統一に前後して汎ドイツ国家主義者がホルシュタインで反乱を起こしていたので、ベルリンでも似たようなことがあったのかもしれない

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そんな混迷を深める欧州をよそに、アメリカがアルジェリアに開戦正当化工作を行っていることが発覚した。えぇ… 新大陸からわざわざアフリカに? 結局工作を行うに留まり、アメリカが戦端を開くことはなかった

独墺戦争(1864~1865年)

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ドイツ帝国はすぐさま「未回収のドイツ」の回収に乗り出した。ドイツがヴュルテンベルク王国に宣戦し、これに異を唱えるオーストリアが参戦。独墺戦争の始まりである*13。ドイツの同盟国イギリスが参戦を拒否したため当初は互角に思われたこの戦争は、次第にオーストリアが劣勢となっていく

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何で同盟国に助けを求めんのだオーストリア

結局ヴュルテンベルクは併合され、オーストリアはドイツ地域におけるドイツ帝国の覇権を容認することとなった。ドイツの猛攻によりオーストリア陸軍は壊滅し、軍事力を大きく減じたオーストリアはしばらく列強の座をスイスに譲ることとなった

一方その頃、フランスはやきもきしながら戦況を見守りつつ、パナマ運河を完成させていた*14

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ザクセン戦争(1867年)

翌1866年。列強の座を失ったオーストリアの影響下を脱したナッサウ公国は、平和裏にドイツに併合された。そして次なるドイツの標的はザクセンであった。先の戦争の後に同盟を結びなおしたイギリスとともに、ドイツ軍がザクセンの国土を蹂躙していく。ザクセンに影響力を持つフランスは救援を求められるが、オーストリアの軍勢を失い、さらにはイギリスの参戦もあっては手出しができない。こうしてザクセン王国の名は地図から消え去った*15。そしてフランスはそう遠くないうちに、ここで参戦しなかったことに意味がなかったことを思い知る

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チュニジア戦争(1863~1867年)

時は遡り1863年。スペインがチュニジアに宣戦した。スペインお前またか! いざとなったらFriendly参戦してやろうと様子を見ていたが、一向に形勢がスペイン側に傾く気配がない。えぇ… お前エチオピアはわかるけどチュニジアにも勝てないの…? どうやらアフリカ側の領土(モロッコアルジェリアの間にあるやつ)を占領され、そこを奪還しようと渡洋作戦を繰り返しては撃退されてるらしい。ちょうどこっちも次辺りに狙っていたので悪評が下がるのを待って1867年に工作、宣戦。こっちが本格的に戦闘を始めたあたりで、スペインは白紙和平した。それにしても負けすぎだろ(↓)

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仏独戦争(1867年)

アフリカではほどなくして何の問題もなくチュニジアが併合される。しかしそれに前後してフランスでは大問題が起こっていた

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なんとドイツはホルシュタイン公国でもバーデン大公国でもなく、フランス本土アルザス=ロレーヌ地方を次なる「未回収のドイツ」に選んだのであった! いや、しばらくは持ちこたえられるけど、オーストリアがドイツを引きとどめてくれないと押し返されてイギリスの方に兵を裂けなくなって無理。オーストリアの方はロシア・トルコ連合がここぞとばかりに攻めてくるし。先に独墺戦争でオーストリアを使いものにならなくしたドイツは策士だな

この状況を避けるには、先んじてこちらから手を打つ必要がある。よし、屈辱宣戦→すぐに白紙和平のパターンでいこう! 単独で宣戦すればイギリスも出てこな…出てきた! 全軍南に逃げろ! もうアルザス=ロレーヌは明け渡す! その代わり一兵たりとも失わないぞ。同盟国を参戦させなかったから、そっちの損失も防げるしな

こうしてアルザス=ロレーヌ改めエルザス=ロートリンゲン地方はドイツ帝国のものとなった

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翌1868年、バーデン大公国はドイツ帝国への編入を受け入れ、「未回収のドイツ」はオーストリア統治下を除けばホルシュタイン公国を残すのみとなった。ホルシュタインと同君連合たるデンマークとドイツの決戦も間近であろう

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アルジェリア戦争(1868~1869年)

運よく悪評を上げずにチュニジアと戦争できたので、次の獲物にアルジェリアを選び無事勝利。途中で反乱軍が出てきて先に占領を進めてくれたのが楽だった。なお、完全に占領する前に討伐する模様

アフガニスタン出兵(1869~1870年)

それはアルジェリアとの戦争中、1868年のこと。同盟国ペルシャがコーカンドとともにアフガニスタンに宣戦。フランスにも参戦を求めてきた。行くのが面倒だし消耗が激しい環境だしで形だけ参戦したが苦戦してる様子。しょうがないのでエチオピア国境に張り付けておいた中から3万人送って暴れさせた。ペルシャが西アフガニスタンを獲得

そんなこんなしていると、オランダがモロッコに開戦工作をしていることが発覚。へぇ~、オランダく~ん、モロッコが欲しいんだ? でもあげないよ? 手を出したらどうなるか、わかるよね?

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↑モロッコ併合の大義名分をでっちあげようとする、オランダの卑劣な行為に対するフランス政府の抗議の様子(陸軍9万人と海軍77隻)

今日はこんなのばっかだな!

内政の話

政治改革ができるようになったが、できれば社会改革で医療制度を進めて人口増加率を改善したい。ということでイベントや政党の交代で闘争心を上げたり、労働組合を認めたりしたが未だ社会改革実行に至らず。自由主義じゃなくて社会主義の議員が増えてくれればなぁ。それでも初期に比べたらだいぶ増えたもんだ

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1970年になり、ついに機関銃の研究をスタート。もうすぐ本格的なアフリカ植民がスタートするぞ! 未使用植民ポイントは目標を大きく超えて1654点! 装甲艦も目標以上の72隻を建造してまだまだ追加を建造予定だ。これはアフリカ統一が楽しみだな!

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*1:アンゴラ・ステートも含むのに南アンゴラ王国

*2:ちなみに、地味に北アンゴラに含まれているサントメ・プリンシペは南アンゴラ王国のコアプロヴィンスではなく、フランス領に留まっていた

*3:通常は1ステートの非文明国のみ

*4:セーブデータを確認するに1848年初頭。前回ポルトガルと講和した頃

*5:少数民族が同化しやすくなる完全市民権もおいしい

*6:おかげで自分には珍しく、戦争中に次の戦争の工作を始めることになった。悪評が上昇しなかったので下がるのを待たずに済んだのもあるが

*7:貴重なゴム産出ステートとはいえ

*8:ネジュドとヒジャーズ

*9:むしろオスマン帝国を弱体化させすぎて、取ろうと思ってないアラビア側が残らないか心配していたくらいだった

*10:オスマン戦のしばらく後くらいで同盟要望が来た

*11:ちなみに作者の方はそのwiki唯一のフランスプレイレポ(マルチ)を上げてる方。この記事を追加しといたので、ようやくシングルでフランスのプレイレポが出てきた

*12:当時はその理由に気づいていなかったが、後々明らかとなる

*13:ちなみに既にドイツ側に寝返ったナッサウ公国も参戦

*14:一度やってみたかったんだよね~ スエズ運河は何度もあるんだけどさ

*15:そこ、国が小さすぎて元々マップに名前書いてないとか言わない